福岡で昼からマグロで酒を飲むなら文治しかない!
やそはらです。
福岡は漁港が近いこともあって魚が旨い街です。
福岡に観光で来た時にまず食べてもらいたい魚といえば、ゴマサバ、イカなんかが多いです。あとは白身とか青魚が多いです。まぁ新鮮だからどれもうまいんすよね。
ただなかなかマグロが美味しいって言われるお店が少ないんです。いや高級な店なら美味しいところはあるんだろうけども、庶民的な感じで気軽にマグロがうまいってなるお店に行きたかった・・・
んで見つけてやっと行けましたー
どどん!
もうちょうど良い感じの旨味と油!決してくどくないんだけどそれでいてとろけるっていう絶妙のマグロ!これで800円くらいだったかな?決して高くない安くない。値段も絶妙なバランス。
福岡でマグロってそんなに食べないんだけど、ほんとにうまかったやー。
お店の場所が飲食店が溢れる博多や天神から離れている高宮というエリアにあります。離れているって言っても天神から電車で3駅だし、タクシーでも2,000円もしないから決して遠い場所ではないだが、福岡感覚だとちょっと遠いかなって感じかと。
まぁでもそれだけ移動しても食べる価値はある。
2軒目で入ったからお腹がそんなに空いてなかったもんでマグロとほかのちょろっとした料理しか食べなかったんだけど、料理の値段がリーズナブルで種類も豊富だったからもう一回行ってお腹いっぱい食べてみたいやー。となりのグループが食べていたやたらでかいおにぎりも気になってるんだよね。
- ジャンル:居酒屋
- 住所: 福岡市南区玉川町17-23 ラフィネ高宮 102
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- (写真提供:ごーや47)
いやーまだまだ開拓の余地がありすぎる福岡やー
「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」はダメ男の人生も変える
やそはらです
食べることは、生きること。
料理ができないー
そのせいで、自信を持てなくなっていた。
年齢も職業もさまざまな女たちが、励ましあい、泣き、笑い、野菜を刻む。
10人の人生を賭けた、リベンジがはじまる。 帯引用
食べるということは人間が生きて行く上で当たり前のことなのに、料理をするということは当たり前のことではなくなってしまった。今の世の中じゃあ安い外食屋はあちこちに見かけるしコンビニでは温めてもらうだけですぐに食べられるものがあふれている。スーパーの冷凍庫には電子レンジで温めるだけの料理とは言えないような食べ物がある。こんな世の中なら料理ができなくても誰だって生きていけるはずだ。
しかしこの本の中に出てくる女性たちは、料理ができないことで自信をなくしてしまっている。そもそも料理を仕方をわからないままだったり、過去のたった1回の失敗を引きずってしまい台所に立つのが怖くなってしまったりと理由はさまざまだ。
そんな彼女たちとともに立ち上がったのが著者のキャスリーン・フリンであるが、とにかく彼女たちの料理に対するネガティブな気持ちから解放させることに努力している。
野菜を切ることの楽しさ、缶のスープや安い調味料に含まれている化学調味料の味、普段食べているものが実際にどんな風に作られているかなど、食べることに対して楽しく意味のあることだということを語っているのだ。
自分も社会人になって一人暮らしを初めてもうすぐ10年経つ。自炊も手慣れたものでちょっと趣味と言えるくらいのことはできる。しかし、最近は疲れやめんどくささを理由に弁当や出来合いのもので済ませてしまっていることが多かった。それだけが理由ではないはずだが体重が増えたり疲れが取れにくかったりしているような気がする。
この前に読んだ本でも食べることに対する意識をもっと持たないとと考えていたばかりだった。
別に料理ができないことが問題じゃない。
料理ができないことで人生に自信を失ってしまっていることが問題なのだ。
すべての料理教室が終わって彼女たちが変わったのは料理への取り組み方だけではなく彼女たちの人生だった。今までの食べ方ではいけないとわかっていながら一歩踏み出すことができない状態から抜け出すことによって自分の生き方に自信が生まれた。彼女たちの人生は確実に変わったのだ。
さて自分の人生はどうだろうか?
ダイエットやら仕事のめんどくささなどの理由をつけて料理をすることから少し距離ができてしまっているような気がする。料理をすることはもっと楽しいことのはずだ。
この本でダメ男の人生も変えていくのだ。
だって人生はもっと素敵なことのはずだから。
春が近づきつつも寒さが残るこんな日は中華おこげを食べたい
やそはらです。
中華のおこげというのは、なぜ人の心をこんなにも乱してしまうんだろう?
熱々に出てくるおこげ。
それにかけられるトロトロの中華あん。
あんとおこげの融合。融合する時に炸裂するするどい音。
おこげはサクサクの部分とあんの味を吸った柔らかい部分とが混在する。
逆にあんはおこげの油分でうまみが増している。
なんでこんなに食欲をそそるかね。
このおこげは自分が大好きな餃子が有名な中華料理屋でたまたまメニューに見つけて頼んだおこげ。
おこげって高めの値段設定のところが多いんだけど、ここはものすごい高いってわけでもないくらいの値段だったはず。ただここの店の一品の量が多くて女性と食べに行くと餃子ともう一品で充分ってくらいの量になる。一人で餃子と炒飯なんて頼んだら本当に腹いっぱいだ。
あぁでも春が近づきつつも寒い日が続くこんな日にはあつあつのおこげを食べてハフハフしたい。
小沢健二の時間を取り戻す
やそはらです。
久しぶりに歯医者に行ったら前回の治療の続きってことで急に虫歯を削ることに。
しかも思った以上に進行していたらしく神経も抜くってことにいつの間にかなってる。前に銀歯を詰めていたんだけどその内側がやばいらしい。
神経抜くの初めてだよー。なんか怖い印象あるよねー。
んで削ったところに仮の処置としてゴム的なものを詰めてもらったんだけど詰め物からすごいゴム臭がするんだよねぇ。これいつになったら臭いが失くなるのかな?
歯医者って定期的に行っていれば問題ないはずなんだけど、時間が経ちすぎるとつい行くのを忘れちゃうしどんな感じだったかわからないからさらに緊張して行くのが遠のいちゃうからなんとかしたい。てか行けよって話なんだけど。
さてオザケンこと小沢健二が急にシングルを出したりMステに出たりと小沢健二ファンとしては一気に心を奪われるような忙しい一週間でした。
約20年ぶりにテレビでの演奏。
やっぱり時間が経ちすぎてたなって思う。
シングルを出して音楽番組に出て歌うってサイクルがあまりにも遠い過去の話のようだった。嬉しさ懐かしさがあるのはもちろんなんだけど、どことなく虚しさを感じてしまうんだよね。
20年前はまだ小さかったし、テレビでしかアーティストが演奏している様子を見ることはできなかった。ライブで演奏される音楽とテレビで演奏をしているように見える音楽は体感するものがまったく違っていた。それを知ってしまったからテレビで演奏している様を見るのは遠い世界の出来事にしか見えなくなってしまった。
実際に小沢健二は去年も全国ツアーをやったりしている自分も実際に見ているんだけどやっぱりライブでの熱量を思ってテレビを見てしまうと熱量を感じられないんだよ。実際にひふみよhttp://hihumiyo.net/の中で本人もテレビが苦手って言ってるしさ。
やっぱりライブで見せてくれなきゃ活動しているように見えないんだよね。
ただ嬉しい発表としてはフジロックにでますって言ってくれていること(これも突然言い出すから心を乱されるw)
できればもっとライブをしてもらって今まで小沢健二を知らなかった人たちに小沢健二のライブを見て欲しいんだよなぁ。
あんまり時間が経ちすぎてしまったものは、取り戻す時はちょっと大変かもしれないけど初めてしまえばあっという間に時は戻るから。
人とのつながりが重要な営業なのに、人をしょっちゅう入れ替えてる状態は辛い
やそはらです。
仕事の話ですー
3月が近づいてくるとやってきます。
そう人事異動が!
今回は自分自身にはなかったのですが、周りでバンバン異動している!
割と古くからある業界で営業の仕事をしているのですが、お客さんとの付き合いが長い方が仕事がしやすいような業界です。同じお客さんと数十年一緒に仕事しているなんてザラ。場合によっていは30年くらい一緒みたいな人もいるみたいです。
一方で自分の会社は、最速で2年で異動。2年じゃほとんど何も成果を出せないまま次に行くような感じです。はえーよ。
んで残っている人たちで新しく来た人に、エリアの状況を教えていろいろと吸収してもらう。そういうのを繰り返しております。本当にめんどくさいす。
ちょっとこんな状況すこし改善してくれないかーと思っております。
それでは
常夜鍋のみたいなシンプルな鍋がおいしいと感じるお年頃
子供の頃に鍋で嬉しかったのは、鍋のフタを開けた瞬間だった。
何が入っているかわからない状態で、小さな穴から白い湯気がでてくる。その湯気からはおいしいにおいが漂ってくるのだ。
そしてフタを取る。開けた瞬間は湯気をまとっている状態だからますぐに何が入っているかはわからない。湯気がなくなってくると肉や魚や野菜がギュウギュウに詰まっている。いろんなものが食べらるからなんだか得をしたような気がしてとても嬉しかった記憶がある。たまに今まで食べたこともないものが入っているのが鍋だった。聞いたことのない白身魚や白子なる食べ物、水菜も鍋で初めて食べた気がする。鍋は新しい発見の連続なのだ。
子供というのは、新しいものの発見の連続である。
そもそも知らないことが多い。特に食べ物に関していえば子供が好きなものはありきたりなものばかりなので、親もそういったメニューを作ってくれることが多い。もちろん子供向けのメニューだから美味しく食べるのだが、大人が特別に食べている食べ物というのは、なんだか美味しそうに見えた。
実際にそれを食べさしてもらうとやたら塩辛かったり苦かったりして美味しくないことが多い。それでも大人のものを食べるという経験が楽しかったしドキドキした。
ここから大人になってからの話になるんだけど、「気がつけば」なんてことを言えるわけもなく大人の自覚を持たなきゃいけないのに子供みたいな心をもっていたいみたいな状態でアラサーも後半戦を迎えているわけです。
大人になるとさー急にシンプルな食べ物を食べたくなるときあるよねー。
そんなときに食べて美味しかったのが常夜鍋。
具材は2種類だけ
豚バラをクレソン。本当はほうれん草を使うんだけどクレソンを冷蔵庫にたくさん残していたから代用で。日本酒と水で埋めた鍋に昆布をいれて出汁を取る。そこにちょっと醤油やらをいれて味を調整してクレソンと豚肉をどーん。
ちょっと白ごまを振りかけてパンチが欲しかったからラー油をちょろっとかけた。
大人になるとそれなりに知識があるので、新しいものに出会う機会は子供のころと比べると減ってしまう。食べ物に関して言えばお金をだせば珍しいものを食べることをできるだろうが日常の食事ではそうはいかない。今まで何回も食べたことがあるものをまた食べるのだ。鍋だってそうだ。寄せ鍋なんてワンパターンすぎて面白みにかけてしまう。
じゃあもう鍋の具を極限まで減らしてしまおうってのが良かった。
いろんなものを楽しむのではなく、一つ一つの具材の味を確かめる。口にいれた時の食感や温かさが毎回違うことに気がつく。具材がいっぱいの鍋と違った味わい方がシンプルな鍋にある。
大人になると仕事や家族や人生やらなんやらと考えることが多くなる。
子供のころのように目の前のことだけにに集中することができなくなってしまってような気がする。
でも思い切って物事をシンプルに絞って考えれば、その物事をいろんな角度から見えることになるみたいだ。
そういったことを気がつかせてくれる鍋だった。
大人がシンプルな料理を食べたくなるのはこういうことなんだな。
おいしいものをおいしいと思えない時は、体が弱っている時
やそはらです
読書シリーズです。
どうも最近仕事の疲れがたまっているのかご飯を適当に済ませることが多かったです。
飲みに行くほどではないけど、外食も飽きたから弁当を食べることもしばしば。
会社に入ったころは、外で食べるお弁当が苦手でした。どうも冷たいご飯だったり、レンジで温めて変に熱の入ったサラダとかを食べることに抵抗があってできる限りお弁当は食べないようにしていました。
だから家に帰ってできる限り自炊をする。疲れた時でも惣菜を買ってそのまま食べるのではなくちょっとアレンジをしたり、味噌汁だけは工夫をしたりしていました。
それがいつのまにか冷たい弁当やら、スーパーの揚げ物をそのまま食べるような生活になってしまっていました。
そりゃ太るし、徐々に体調が悪くなる傾向になるよね。
そんな中で出会って読むことになったのがこの本です。
私が最近弱っているのは 毎日「なんとなく」食べているからかもしれない
- 作者: 小倉朋子
- 出版社/メーカー: 文響社
- 発売日: 2015/11/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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自分がいかに食事を大切なものにしなくなっていたかに気づかされました。
ちょっと前はおいしいものをすごく美味しく食べるよねなんて言われていましたが、そういうのが最近めっきり減ってしまいました。まぁおいしいもの食べたい思考ではあるんですが、「食べられれば良いや」とか「とりあえず腹に入れよう」みたいな考えになってしまうことが多くなっていました。
・自分が何を食べたいのかをしっかりと考える
・食べるという行為に集中する
・周りの雰囲気にも気を使っておいしいものが食べられる環境にする
ここらへんを意識しておいしいものを、さらに美味しく食べているなと実感できる生活にしていきます。
それでは